こんにちは、かたせうみです。
お墓の記事②です。
前回のお話は、こちらでどうぞ。
前回のあらすじ
5年前、古い友人を亡くした私。
色々あって、友人のお墓はずっとなかったんですが、ついにお墓が出来ました。
で、つい先日(といっても2月だけど)お墓参りに行ってきました。
で・・・・、自分のこと、考えちゃったんですよね。
自分のお墓をどうするか
自分の人生を平均寿命までと考えるなら、まだまだいけそうな気がしますが、友人の突然死によって、『自分の近くにも死神リュークがいるかもしれない。』と考えるようになった私・・・。
このブログを、少しでも面白く思えば『オモシロ!!』とかいって生かしてくれそうですが・・・。
私は嫁いでいますし、夫は長男。
となると、婚家のお墓に入るのだろうか・・・・・。
そんなの「絶対いや!!」
婚家には非常によくしてもらっていて、いじめられたことなどありません。
なのに出てしまうこの気持ち。
はっきり言って、知ってる人が見たら、私はただの人でなしです。
よく、『あの家のお墓には入りたくない』だの、『あの人と一緒のお墓は嫌だ』だのと聞きますが、恨みつらみの全くない私でもこうですから、この感情の根は深いもんだと妙に納得したものです。
この話をしたら、とある友人には
死んだ後のこと気にするなんて理解不能。(こんなアイコンで友人スマン)
と言われたんですが、私にはちょっとそういう風に思えなくて・・。
で、ぼんやりしてたら、『自分の骨を、大好きな海にまいてくれないかな~。』と思ったんですよね~。
でも、散骨って、確か日本の法律ではできないんじゃなかったっけ??
日本でも、散骨できます。
散骨にぼんやりと憧れを抱いた私、ネットで調べました。
確か、ついこの前まで、散骨は「死体遺棄」として日本では禁止されていたと思うんですが、 1998年ころから、「節度を守って散骨すれば、違法ではない。」と、法務省は非公式ながらこの見解を示しているようです。
しかし、厚生労働省では「そのような形の葬儀は想定していない。」と、渋い顔。
そうなんだ・・・・。
骨と分からないように粉砕したり、船の細かい取り決め等があるみたいですが、葬祭業のHPをのぞくと、あるわあるわ「散骨プラン」!
散骨プランの一部
散骨は、暗黙の了解か何かわかりませんが、出来る海域が決まっているそうです。
会葬者で船をチャーターし、お食事・飲み物付きでクルージングしながら散骨するものの他、代行業者に頼むもの。
(代行業者の場合は、会葬者は乗船できない。)
私の好きな、葉山や江の島から出航するコースもありました。
極めつけは、ハワイ散骨プラン!
うわぁ〜、マジ?イイねぇ。
散骨した海域にクルージングする、「お参りクルージング」もあります。
『なぁ~んだ、できるじゃん!自由になれそう♡』
各自治体への届け出や確認が必要ですが、散骨自体は無理な相談ではなさそうです。
でも・・・・、これって、夫や子供たちは理解してくれるかなぁ・・・。
散骨してもらうには、生前の話し合いや理解が必要。
しかし、散骨して、お墓が別にあるならまぁ、まだいいとして、お墓もないという事になると、なかなか家族や親戚たちも「うん」と言わないのではないだろうか??
墓の前で手を合わせるという行為だけでも、慰められたりするもんですから、拠り所としての墓石は必要なのかなぁ・・・。
実は、友人が亡くなったとき、子供たちに
ママが死んだら、墓に入りたくない。きれいな海に散骨してくれ。
と言った事があるんですが、まだ子供も大人になっていなかったこともあり、娘には
そんなこといわないでぇ・・・。
と、言われたこと、思い出します。
あの頃は可愛かった・・・。
もし本当に散骨してもらうなら、生きている間にしっかりと遺言で残しておき、家族にも根回しして、気持ちを理解してもらっておかないといけませんね。
そうしておかないと、「散骨しよう。」なんて、残された家族は考えないよ、多分。
樹木葬というものもあります。
今回の記事で調べ物をしていたら、「樹木葬」というものも見かけたので記事にしておきます。
「樹木葬」とは、墓石の代わりに木を植える埋葬方法だそうです。
これは散骨と違い、埋葬となるので、墓地等の決められた場所でしか行うことが出来ません。
「桜の下には死体が埋まってる」とか言いますが・・。
この言い回しは適切じゃありませんが、自分の埋葬場所に「木」かぁ・・。
ジブリっぽくもあるし、メルヘンでもあり、『おばあちゃまの木』とか言われそうですね。
植えてもらうとしたら、やっぱり桜とか薔薇がいいけれど、一般的には大きくならない低木が主流だそうです。
大地に還る感じがいいですね。
でも、そうすると、ずっと一つの所に縛られる気もするな・・・・。
とあるサイトの「エコ」という表現のしかたも気に入らない・・。
お葬式の意義
最後に、お葬式の意義です。
今は、冠婚葬祭は簡素化の傾向。
家族葬も増えたし、正直お金もかかるしお葬式って出すのが大変です。
私の母が田舎の出身で、祖父が亡くなったとき、町内総出で三日三晩の葬儀でした。
いやぁ、あれには驚いた。
本当に横溝正史の世界でした。
少子高齢化で核家族化、そんな大層な葬儀、やってられません。
・・・・でも、ちゃんとお別れしたい人がいると思うんです。
お葬式の効力って、偉大です。
式として、強制的に故人とお別れさせられるんです。
お通夜に参列し、故人の亡骸と対面し献花する。
友人達と故人を偲び会食し、出棺を見送る。
まだまだ心の整理はつかないけれど、葬儀として執り行うことにより、ちりぢりになった心のパーツをデフラグの様に整理して、お別れする。
こういう事を、疎かにしてはいけないと思うんです。
友人の葬儀はちゃんと行われましたが、これ、「家族葬ですので。」って言われたら、ちょっと辛かっただろうなぁ・・・。
「村八分」とは、仲間外れのことですが、10個あるうちの、8個は仲間外れという意味です。
仲間外れにされない残りの二つは、火事とお葬式です。
結婚式とかの晴れの日は仲間外れでも、お葬式は違うんです。
それくらい、葬儀というのは大事な事なんです。
故人を見送りたい人がいるかもしれない事、頭の片隅に入れておいて欲しい。
そんな事で、数年前から色々考えるようになったんですが、あれ以来散骨の話は家族とはしていないんですよね。
何だか自分は長生きしそうな気がするけど、そうすると、見送らなきゃいけない人が沢山いるなぁ・・・。
こういう話が、不謹慎な話題ではなくなるお年頃。
読んでいただいて、有難うございました。
ちょっとこんなの見つけてみました。