こんにちは、かたせうみです。
平取町にある、「義経神社」に来ています。↓
「義経神社」は、その名の如く源義経を祀っているのですが、神社の敷地には「義経資料館」という、古風な建造物もあります。
ここが、なんとも言えない雰囲気の資料館でしたので、義経神社の謂れとともに、めぐってみたいと思います。
義経史料館入り口
義経神社の敷地の中に、ひっそりと建つ義経史料館・・・。
というか、朝ドラに出てきそうな古い建物です。
全景をカメラに収めようと思ったのですが、映り込みがひどすぎてブログアップできそうになかったので、下の1枚だけは、自分で撮った写真ではなくHPから引用させていただきます。
義経資料館より引用
特に受付等はありません。
人もいません。
引き戸をガラガラガラ~っと開けて、勝手に入ります。
「ごめんくださ~い・・。」
って感じ。
なんか・・・、勝手に入っていいのかな~・・・?
と、不安になる。
すごい柱時計がお出迎えしてくれました。
ちゃんと動いてます。
っていうか・・・、なんだここ?
入場料200円でした。
ちゃんと払えよ。
分かってるよ!
あっ!!500円しかない!
500円入れとけ!
500円硬貨しかなかったので、仕方なく500円を投入・・・。
廊下を進むと、鎌倉時代の年表などが・・・
うまく写真に撮れなかったんですが、床には、大きな鎌倉市街の地図がありました。
ここへ来て、まさか鎌倉時代のお勉強ができるとは・・・。
そうなのよ、鎌倉って入り組んでるの。
車運転してると怖いのよ。
途中で道が無くなったりするし・・・。
誰のかわからない甲冑があります。
この甲冑については、説明書きが無く、本物かどうかも分かりませんでした・・・。
う~ん、資料程度の物なのかなぁ・・。
もしかしたら、この甲冑をアイヌの人が大事にしていて、それを見た近藤が、『あれは義経のなんじゃないのか??』となったのかもしれませんね。
・・・・・・・。
宮司の趣味?
し~~~~んとした史料館に、きしむ床。
私と夫以外誰もいません・・。
まずい、ここだけ時空が歪んでいるようにしか感じない・・。
いや、ちょっと・・・誰もいないし怖いよ!
義経神社の謂れ
義経神社の謂れは諸説あるらしいのですが、平泉から生き延びた義経は、平取に居住し、倭人の知恵をアイヌに伝授してヒーローになり「ハンガンカムイ」(判官さま的な感じ?)と呼ばれていたという説が有力。
その後、寛政10年に幕府の命で北方調査に訪れた近藤重蔵が、アイヌが崇拝していた「オキクルミ」という神様を、源義経の事なんじゃないか???
と考え、翌年にご神体を奉納した。
というのが、近年最も有力なというか、スタンダードな説となっています。
その話を裏付けるように、岩手県の判官姓の墓碑についての記述があります。
岩手の判官姓が義経由来の物だから、ハンガンカムイは絶対義経の事に違いないという解釈ですね。
各地に残る、義経伝説の地図
史料館には、日本各地に残る義経伝説を解説した地図と、説明書きがあります。
さすがに逸話の多い人です。
これは、義経神社の説明書き。
あ~、なんか、長野っぽかったね。
うみちゃん、君が何をもってして長野とか言ってんのか知らないが、うみちゃんの知ってる長野がここに近かっただけじゃないんかい?
え~?そうなんだけどさ、長野とか山梨って、こんな感じじゃない?
まぁ・・、分からなくもない。
いやほんと、長野っぽかった、この神社。
今日は、義経史料館についての記事でした。
義経神社へ行くと、「資料館もぜひご覧ください。」と看板が出ていますので、お立寄りの際は、この、なんとも言えない雰囲気の史料館もセットで見学してみてくださいね。
なんか・・、ついつい入ってしまったよ。
普段だったら絶対行かないところだけど、ブログネタかな?なんて考えて扉を開けたのですが、なかなか貴重な体験でした(?)
なんでも行ってみるもんだ、ブログって素晴らしいね。
ここの価値が200円以下か200円以上かは、行ったあなたが決めて下さい。
それでは、今日も読んでいただき、ありがとうございました。
あ、それから、この神社にほど近い所に「去場(さるば)」という所があるのですが、その橋付近にネズミがいたので、轢いたり、タイヤを食われたりしないように気を付けてね。
ではまた。