「源義経は生きていた。」
「織田信長は生き延びた。」
など、歴史ミステリーのような落ちのび伝説は各地に色々ありますね。
中でも、源義経が落ちのびたという伝説は有名で、北海道にも義経伝説の地がいくつかあります。
今日は、北海道平取町にある義経神社へ見学へ行ってきましたので、ご案内します。
その名の通り、源義経を祀っている神社です。
義経落ちのび伝説とは・・・?
え~と、義経最後の地ってどこだっけ・・・?
平泉(怒)。
あっ、そっか・・・・。
・・・・・・。
・・・、平泉ってさぁ・・、京都の方だっけ??
岩手じゃ!!ばかか!
そうです、頼朝に追い詰められた義経は、奥州平泉で自害して果てるのです。
弁慶が義経をかばって矢を射られながらも盾になって・・・
それは知ってる。
と、テストに出そうなところはすっかり忘れて、逸話ばかり覚えている夢女子かたせうみですが、源義経については、有名な歌舞伎の演目「勧進帳」というのもあったりして、物語性は抜群の人物です。
(「勧進帳」の主人公は弁慶だけどさ。)
なんてったって、牛若丸ですからねぇ~・・。
そんな義経ですが、実は平泉から逃げて生き延びたという伝説が多数あります。
義経落ちのび伝説は、奥州平泉に近い、新潟などの北陸や東北地方に多く残っていますが、蝦夷地にわたってその後モンゴルでチンギス・ハーンになったという伝説もあるんです。
ちょっと調べてみたら、この落ちのび伝説が流行したのは江戸時代の事らしく、昔の人も結構ロマンチストね・・・、という感じですが、北海道にある義経伝説を抜粋すると、以下のようになります。
北海道では、松前あたりに伝説が多い
北海道での義経伝説ですが、松前のあたりに多く逸話が残っています。
北の玄関口ですからね、東北まで逃げて、船に乗って松前に着いたのかもしれません。
しかし、積丹半島の神威岬にも 義経の伝説があり、ロマンよりも、「源義経よ、お前さんは一体どんだけ移動したんだ!」という気持ちでいっぱいです。
因みに、神威岬での逸話はこうです。
積丹半島に住む、アイヌの大事な巻物を持ち出した源義経は、神威岬から本土へ向けて船で脱出。
義経に思いを寄せていたアイヌの娘チャレンカは、義経を追って、神威岬から身を投げた・・。
義経は、相当な色男だったらしいですねぇ・・・。
この話は岬の看板になっているので、神威岬に来れば、読むことができますよ。
義経が神威岬または松前からモンゴルへ移動したとすると、こんな感じです。
600年代には三蔵法師が中国からインドへ行ったし、仏教伝来とか鎌倉時代よりもっと古いからねぇ・・・。
あるかも。
というところで、義経神社に到着!
全く想像していなかったけど、ここだけすごい観光地感があります。
観光バスと鉢合わせした・・。
さっきまで閑静な佇まいだったのに・・。
どうやら、「襟裳の春ウニツアー」の人たちのようです。
ツアーの時間合わせに寄らされたんだろうか・・。
石段を見て、登るのを諦める人多数。
参道には立派な階段があり、なかなか骨が折れる道のりです。
昇りつめて見下ろすと、この様な光景です。
石段が所々ガタついて、ちょっと怖いので気を付けてください。
階段が難儀な人は、神社のすぐ横まで車で来られる道がありますので、そちらを利用しましょう。
駐車場もあります。
手水をして神社へお参り
神社へ来たら、手水を忘れてはなりません。
ここの手水は、岩造り(っていうの?)。
湧水を連想させる美しい作りですね。ひしゃくの感じもいいです。
北海道神宮の柄杓はプラスチックだった・・。
本殿へ着きました。
創健は寛永11年と古く、派手さがない所に、歴史を感じます。
日高は有名な馬産地ですが、義経の馬が連戦連勝だった事にあやかって、義経神社は馬の息災や必勝を祈願する神社としても人気があり、馬主さんや牧場が、たくさんの「神社のぼり」を奉納しています。
砂利が敷かれ、ひっそりとした参道にはためく白い神社のぼりが、雰囲気を醸し出しています。
御朱印をいただき、義経資料館へ
各種お守りは、拝殿の中にあり、御朱印もこちらで貰えました。
馬の必勝守りというか、「馬券的中」のお守りもありますよ。
しっかりお参りして、家族の健康を祈願。
義経神社はひっそりとしていてとても静かですが、高台にあって地元で大事にされている神社らしい雰囲気があります。
毎年例大祭も執り行われていますよ。
隣接した義経公園も広く、散策やお花見も楽しむことができます。
● 義経神社
住所 : 北海道沙流郡平取町本町119-1
電話 : 01457-2-2432
● アクセス
◆札幌から(高速バス):1時間50分
◆千歳空港から(車):1時間
◆苫小牧から(道南バス):40分
◆JR日高線富川駅から(道南バス):15分
神社の敷地には、「義経資料館」というのがあるらしいです。
ちょっと行ってみますか・・。
そういえばさ、落ちのび伝説って結構聞くけど、上杉謙信や武田信玄て聞かないよね。やっぱり病気だったからかなぁ・・(上杉謙信は脳卒中、武田信玄は結核で亡くなったとい言われている。)
信玄も謙信も負けてねーから!!
はっ!!
戦に負けてなければ、落ちのび伝説なんてあるわけがありません。
夫に怒られちゃったよ。
無敗の騎馬軍に、毘沙門天の生まれ変わりだもんね・・、ははは。
私の無知が露見したところで、義経資料館への道は続く。
読んでいただき、ありがとうございました。
※ ちなみに、夫のアイコンは、上杉謙信じゃ。
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